CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
RECOMMEND
<< 十月十五日 秋の境内清掃奉仕 | main | 十月十七日 編∃鬚楼雉夫さんを支持します。 >>
十月十六日 田母神俊雄第九代総代を迎えて

  

 編∃鬚蓮⊂赦損綾集淒十月十二日、山口二矢烈士による、日比谷公会堂浅沼稲次郎社会党党首刺殺事件に、水戸愛郷塾塙三郎(当時四十八歳)が若干十七歳の少年が、日本国と日本人の将来を憂い、命をかけた義挙の報に触れ、このままではいかん、自分も何かせねばと、思案をめぐらせ「日本の再建は天皇と国民が一体になる事だ。国民と天皇が一体になるのは、英霊の祀られている編⊃声劼里曚は絶対にない。」と水戸愛郷塾橘孝三郎の友人山本健介老に相談、協力を求め、編∋嫁匆颪鬚弔ろうとなりました。二人は徳川義親公をたずね参拝会の中心人物になって貰うことを約し、さらに今村均元大将に会い一も二も無く賛成を頂きました。他にも元海軍大将高橋三吉氏や元将官たちが加わり参拝会が発足しました。その後、八月十五日の終戦の日には特別の参拝をすることを全会一致で決定し、編⊃声劼涼單栂蛭権宮司に相談したところ「八月十五日は、英霊の最も悲しむ日であるから編⊃声劼箸靴討脇颪靴ぁ廚箸諒峪でありました。その後、再度権宮司に面談し「英霊の最も悲しむ日であるからこそ、私達国民は、英霊の前で日本の再建をお誓いせねばならないと思う。」という理由を訴えたところ、ついに編⊃声劼蓮◆岾Г気鵑ご希望であるならば、やりましょう。」と編⊃声劼ら賛同をいただきました。翌昭和三十六年八月十五日第一回編忠霊祭が徳川義親公を総代に今村均元大将を副総代に発足し二十名ほどの参列で執り行われ、現在では毎年三百名を超える参列者を数え、忠霊祭では編∃鮓淆膵卜涼成を忠霊に誓い、本年は、平成が残り一年となってしまった今、「天皇陛下編⊃声匕羶毒辧彈存修妨けて邁進中であります。また、日常的な活動は、境内清掃奉仕をはじめ参道での車椅子奉仕を日曜祭日に行っております。

 

 本年七月二十二日第八代総代湯澤貞編⊃声丗菷代宮司高齢による退任に伴い、第九代総代に田母神俊雄第二十九代航空幕僚長を迎えました。田母神俊雄は「日本は良い国だった」と公言したために一時は社会的に抹殺され、名誉も社会的地位までも奪われました。その姿は編⊃声劼膨辰泙訝蚓遒慮什澆領場に非常に通じるものがあります。田母神俊雄は、正しい心で国を護り民族の誇りを護ろうとした軍人、日本人であります。その田母神俊雄が平成が残り一年となった今、我々の指導者と迎えることができたのは時代の必然と感じております。残り時間は少ないですが、御世代わり前の御親拝を賜るためにも正しい日本人育成のためにも田母神俊雄の思想信条知識を全国各地で広めていきたいと思います。そこで皆様からご提案をいただきたいと存じます。また、各地方でご協力いただける同志を探しております。思い付きでのご提案でもかまいません。できる範囲でのご協力で結構です。未来の日本人の為に、歴史の礎となられた忠霊の為に是非皆様のお力を貸してください。

 

(例)全国護國神社での講演会

地元の方々との境内清掃奉仕、正式参拝。宮司様の講話、田母神俊雄講演会、質疑応答、懇親会。

参加費二千円(玉串料含む)一部を熊本縣護國神社復興に奉納。

 

編∃鮓淆膵卜

一、「編⊃声匚餡噺郢国家祭祀」

一、「天皇陛下御親拝」

一、「自主憲法制定、主権在君天皇陛下国家元首」

一、「極東軍事裁判の否定及び所謂「戦犯」と汚名を着せられた忠霊の名誉回復」

一、「真の主権回復」 

 

初代総代  徳川 義親  尾張徳川家十九代当主 侯爵 松平春嶽五男 

副総代   今村 均   帝国陸軍大将 陸士十九期 

第二代総代 和知 鷹二  帝国陸軍中将 陸士二十六期 

第三代総代 源田 実   帝国海軍大佐 第九代航空幕僚長 参議院議員

第四代総代 斉藤 忠   大日本言論報国会専務理事 

第五代総代 伊代 茂   帝国陸軍中佐 陸士四十二期

第六代総代 草地貞吾   陸士三十九期 帝国陸軍大佐関東軍作戦主任参謀

第七代総代 清瀬 信次郎 憲法学者 

第八代総代 湯澤 貞   編⊃声丗菷代宮司

第九代総代 田母神俊雄  第二十九代航空幕僚長 

| - | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://yasukuni.jugem.jp/trackback/1643
トラックバック