本日は、参拝させて頂き、毎月一日に替わる社頭掲示の「遺書」を拝見させて頂きました。今月の遺書の内容は、
靖國神社ホームページでご覧ください。
掲示されていた「遺書」の陸軍兵長安田博命は茨城県結城市出身で命日が本日でした。領布されている「遺書」を二枚頂き奉仕の準備を始めました。
九時ちょっと前には、観光バスが続々と駐車場に入り、全国各地からの遺族会の皆様が参られました。いつものようにお声かけをさせて頂いたのですが、ご遺族の皆様はなかなか車椅子には乗ってくださりません。一通り遺族会の皆様が通り過ぎた後に、みたままつりの準備で組まれている足場にもたれているご婦人がいらしたので車椅子を持って行き腰掛けていただきました。
そのご婦人は、茨城県鉾田市からいらした昭和十三年生まれのご婦人でした。普段は、自動車をご自分で運転して出かける活発なご婦人らしいのですが、ついこの間自転車で転んでしまい調子が悪いとのことでした。何度も何度も申し訳ない御免なさいねと繰り返されました。そのご婦人によると、昭和十八年に出征されビルマで戦死された御尊父が祀られているので毎年参っているとのことでした。五歳で父親が出征しているので想い出らしい想い出は何もないとのことでした。
月並祭参列のために参集殿へお送りして、雨が降ってきたので一旦片付けをしました。片付けを終えたところで、手洗いに行ったらバスガイドさんが数人飲み物を自動販売機で買っていてその内の一人の方が7777を出して大盛り上がりをしてました。北関東弁でキャッキャしていたので、鉾田からいらしたガイドさん達だと思い、社頭掲示のお話をさせて頂きました。ガイドさん達も非常に喜んでくださり、帰りの車内で話さしてくださると仰ってました。
遺族会の皆様がお下がりになるのを参集殿で待たせて頂き、先程のご婦人を見つけバスへお送りする途中「遺書」の話をさせて頂きました。そのご婦人は、茨城県出身では無かったのですが、良い話だからと「遺書」の複写を数十枚持って皆さんにお配りすると仰っていただきました。
神門のところで拝殿に向かい「お父様に来年もまた参られる約束をしてください」と促すと、小さな声で「お父さんありがとう」と仰られました。きっと、お母様も幼い子供を抱え苦労なさったのではないかと推察しますが、戦死したご主人のことを「誇り」と教育なさったのだと思いました。
本当に遺族会の皆様は高齢になり、杖をついての参拝者が目立ちます。数も減っています。普段お元気でも、バスや車で数時間かけて靖國神社へ参られると足が上手く動かなくなっている方もいます。本来の弊會の五大綱領には直接結びつきませんが「感謝」を紡ぐのも日本人として大切なことだと信じています。
五歳の時に分かれた父に七十年経った今でも「お父さんありがとう」と言える娘を育てたあの時代の日本を護るために礎となられた忠霊を顕彰し一刻も早く靖國神社国家護持・国家祭祀を実現し高齢になられたご遺族の方々にご安心いただける様にしなければと感じた一日でした。
みたままつりの準備も着々と進んでいます。